中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

宇宙一くんの話

 火曜日、広州は曇り、気温は 27度。空はパっとしないが気温は暖かい。

 朝 7時に目覚ましの音で起床。相変わらず眠くて仕方ない。フツーに 6時間くらいは寝ているので十分な筈なのに眠い。そのクセ夜は眠くならないんだから困りもの。

 イツモのルーチンで朝の準備をして午前 9時少し前に家を出てシェアサイクルに乗ろうとして、小区の門を出たら、なんと!普段なら道の向こうに存在していた高いガードが取り外されていて、コンクリートミキサー車が大勢並んでいたので驚いた。うっひゃ〜!なにこれ?

 なるほどね…どうりで渋滞している訳だ。
 トラックやらミキサー車が出す(今や懐かしい?)ディーゼル排ガスの隙間を搔い潜って自転車で脱出。約 20分の通勤エクササイズにてオフィスに到着。

 出社後も普段と変わらず相変わらず細々と同時進行で頭をパタパタと切り替えてオシゴト。

 午後 4時くらいにまた一斉 PCR検査に呼ばれたので並ぶ。視聴覚室みたいな場所で 15分程待たされてようやく始まった。最近は検査が多いので、検査スタッフの人出が足りないらしい。

 その後も仕事を続け、あっという間に 20時過ぎである。ソソクサと荷物を纏め、逃げる様に帰宅。

 自宅の前に到着して、朝と何も状況が変わってないのを見て呆れた。

 帰宅後も、なんだか意味もなくクサクサした!?気分だったので、冷蔵庫からコロナビールを取り出して一気に半分くらい飲み、30秒くらい後に大きなゲップをしたら、ようやくマトモな頭になった気がする。やっとフツーに呼吸できる感じ?『生き返る』とはまさにこの事よ。

 楽な格好に着替えてからは、昨夜に引き続きソファーに寝っ転がって Windowsマシンのパーツをタオバオで買いまくる。

 しっかし、こういうのホントは好きなクセに昔みたいにワクワクしないのは何故だろう???

 フト思い出したのだが、確か『Pentium II』が初めて発売された頃、『宇宙一速いマシンを自作しよう!』と、秋葉原に通ってパーツを買い集め(当時はネット販売なんて全然普及してなかったのだ)当時の金額で 30万円近くかけて、当時考えられる最速の Windowsマシンを組み立てた記憶が蘇ってきた。確か 1997年の春前だった気がする。CPUだけで 15万円くらいしたが、今までの 8086 - 80286 - 80386 - Pentiumという『ダイ』に乗せるチップから、黒くて筆箱みたいに縦長の CPUになったのを見てエラく感動した記憶がある。
 当時はまだ Windows95が全盛で、98が発売される前だった。『宇宙一くん』と名付けて可愛がったものだ。

 確か、当時は K社に在籍していて、ちょうど神戸から横浜に戻って来たばかりの頃だ。 仕事では Macを使っていたのだが(確か PowerMac 8500/180 OSは漢字talk 9だ。懐かしい!)でもプライベートでは Color Classicしか持ってなかったので、専ら Windowsをメインに使っていたのだよ(なにせ Logic Audio 2.6に Windows版がまだ存在していた頃だからね)
 しかし当時の Macはまだマイノリティで、何につけ割高だったし(フツーのグレードが 50万円くらいした)、OS9はとにかく良く爆弾が出て固まるのであまり良い印象は持っていなかった…というのもある。不思議なもので、今とは真逆の印象を持っていたのだ。いやはや、人の印象なんてアテにならない。

 それにしても、あの頃は何をするにも一々ワクワクしていたよなぁ…。
 トシはとりたくないねぇホント。何もカモが枯れていく。

 まいっか、別にそんな事。

 色々と買い込んで、気付けばあっという間に午前 1時過ぎである。明日も仕事だ!早く寝ようっと。
 因みに今日発表された昨日一日の広州の感染者は 5,000人を超えたそうな。相変わらずジワジワ増えてる。色々間に合ってくれよ〜。
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