中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

楽しくて話しましょう?

 週の真ん中水曜日。そして今日もまた雨。本日は一人で家呑み。ギネスの後にOld Parr。うーんシアワセ!

 最近「面白いなぁ…」と感じている事は、プライベートで『頼まれ事』として各方面から舞い込んで来る様々なハナシが、今お昼に普通に生業としてやっているオフィシャルな業務と徐々に方向性がカブって来た…という事だ。
 バラバラにパラレルに進んでいる様に感じている、一見全く関係ない風に見える様々な事象が、実はあるキーワードで一つに括れる様な気がしてきたのだ。それは、上手く口にはできないが、乱暴に纏めると【『表現する事』に対する『支援』】なのかなぁ…と。

 自分は今まで、自分自身が『表現者』サイドに居るつもりだったのだが、実はコレって『表現者でありたい』という『エゴ』じゃないか?という気が最近してきたのだ。

 モチロン今でも、音楽に関わっている以上は『死ぬまで表現者でありたい』…というツマラナイ?欲望というか希望は有るには有るのだが、もうトシもトシだけあって、最近は『マスを意識する事』に疲れて来た、というか『誰かにどう評価されたい』的な欲求が驚く程減って来たのだ。
 ヲレみたいなこ〜んな格好悪いオッサンが前に出て、ワカモノに対して説教じみた歌を歌うのもナンだし、テクニックの押し売り的なプレイをするのもナンだなぁ…って感じ始めていて、何と言うか悲しいかな『自分がチヤホヤされる事』にあまり魅力を感じなくなって来てるのだ。
 いや、違うな。っつーか正直に書こう。『老い』はもう自分自身で認めちゃった方が良いのではないかな?という気がするのだな(苦笑)

 一般的に評価される様な曲(セールス的な観点から見た商品)を生み出す事は、もう才能がある若い人に任せて、別に誰にも評価されなくても、自分は自分の好きな事をどっかに引っ込んで趣味としてチマチマ作り続けたいし、発表するのも(もし場があれば…だが)80年代前半のサブカル時代のニューウェーブよろしく、人の顔色を一切見ないで『演りたい事だけ』演りたいな…という、やや変態的な感覚が芽生えている。
 別に『アマノジャクで良いじゃね?』とか『「格好悪い事」の方が実は格好良くね?』とか、どんどんヘンタイ化しているワケだ。

 イカン話が逸れた。

 で、オフィシャルやプライベートで最近色々なイベント事に関わる度に、若い子達が表現している姿を見て『ドコをどうすればもっと良くなる』という事が、何というか『キラーン!』という豪華な効果音と共に見えて来ちゃってワクワクする事が多い。自分自身は表現する事に枯れちゃってるクセに、光りそうな人を光らせる事に萌えちゃうのだ。我ながらアフォだなぁ…とは思うが、最近コレが面白くてしょうがない。

 PAのヘルプもそうなのだが、自分が出演者としての経験から学んだ事をベースに、セオリーに無い事をちょっとだけ加える事によって、演奏者の『魂の叫び』みたいなヴァイブが、お客様の心に届く確率が上がる…という事が楽しい。ホントに。
 イベントの舞台監督もそう。仕切りの悪さって致命的なんだけど、中国のイベントの『仕切りの悪さ』もチョットした匙加減で、逆にお客様に緊張感を与えて「コレ故意に作ろうと思っても絶対できないよなぁ…」という感じで!?まだまだ面白くできると思うのだ。

 なんかね…この歳になって『まだまだ面白い事いっぱいあるじゃん?』って感じな今日この頃である。トラブルに遭遇すると反省してるフリしつつ『やっべー、でもこの緊張感って何か面白くね?どうやって解決しよっか』って舌を出しちゃう感覚は、きっと真性Mなんだろうな(笑)


 さて、写真は例によって本文とは全く関係ない。中国で最も巨大なチャットツール『QQ』のiPhoneアプリのオープニング画面。日本語版もあるのだが、このビミョーな翻訳間違いが素敵に感じちゃうんだなぁ。


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