中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

入院@中国/第一章(7/6〜7/12)

 中国に6年間も住んでいるが、ついに初めて入院する羽目になった。この日記の数日前の日記に書いた通り、先般尿管結石の発作が起きてノタウチ回ってから数日。浦東の森茂クリニック経由で上海交通大学付属第一人民医院にてCTスキャンを撮った結果、左の腎臓と膀胱との間、膀胱の直前の所に7.8mmの石が詰まったままの状態である事が発覚した。医師と相談の結果、膀胱鏡とレーザーを使って結石を砕く為の手術を受けるため入院となったワケだ。
 当初の予定では3日間だけの予定だったが伸びに伸びた訳は…。まぁゆっくり書いて行こう。

 写真は私が宿泊する事になる第一人民医院のVIP病棟。ここは『国際医療保健中心』という外国人向けの特別病棟らしい。もちろん中国人でも入れるが部屋料だけで一泊1,500元(20,000円)もするのだ。基本的に外国人(海外旅行障害保険適応者)は無条件でココに入れられる。






 ご覧の通りバストイレ付きの個室である。…というよりちょっとしたホテルの様だった。病気してなければ非常に快適である。

●入院当日7/6(水)
 この日は検査だけなので、午後からは普通食が支給される。食事も5種類のメニューから選べる形式になっていた。笑っちゃうほど快適である。

 笑っちゃうと言えば、面白かったのは、心電図を測る技師がヘッドフォンステレオで大音量で音楽を聴きながら仕事していた事だ。いや、勿論診察中はヘッドフォンは耳から外していたが、首にかけたヘッドフォンから音が漏れまくりである。いやぁユルいもんだ(笑)

 それにもう一つ日本との大きな違いは、看護婦さんが香水を付けてる事。日本の看護婦さんって基本的に無臭だよね?確か。良く覚えていないが。でもこっちの看護婦さんは人によってはカナリきつい香水を付けてくるから笑ってしまった。いやはや、所変われば…である(笑)

 夕方にダイジな部分の毛を剃られる。別に開腹手術じゃないので、剃らなくても良いんじゃないかなぁ?…なんて思ったが、勿論文句は言わなかった。そんなこんなで初日は終了。

●明けて翌日、7/7(水)折しも七夕が手術日。
 朝6時起床。もちろん食事抜きで簡単な検査と医師からの説明を受ける。今日来たのは、いつもの担当医(30代だなきっと)と、執刀医と呼ばれる、ちょっとエラそうな先生(多分50代)も同時に来た。彼は英語で説明してくれた。それと明らかにアシスタント風の若い先生の3人である。その後、麻酔科の医師による全身麻酔に関する注意事項の説明、それに諸々の沢山の書類にサインをさせられる。微妙な緊張感が高まる中、妻と息子と妻の妹とその彼氏が応援に来てくれた。
 午前10時から手術開始との事だったが、前の手術が大分伸びているらしく、なかなか呼びに来ない。「こりゃ午後になるな…」と油断した午前11時半、いよいよ看護婦が呼びにきた。
 手術用の小さいベッドに移し替えられ、上着を前後ろ反対に(背中側にボタンが来る様に)着せられる。手術専用の服じゃなくて普通の上着っぽいので首がちょっと苦しい。

 それから担架は廊下を進むのだが、エレベーターは客と共用なので、色んな客が私の顔をジロジロ覗き込んで行く。

 色々な部屋を通り抜けながら思ったのは、運び方は中国のタクシー同様だな…という事。担架の運び方も乱暴なのだ。こりゃ重病人はタマったモンじゃないわな。。。などと考える。そんなこんなで手術室の入り口に到着。
 ここで妻と息子と義妹達と分かれる。

 自動ドアの内側は全面緑色に塗られて、結構何部屋も通り抜けて行くのだが、その時に廊下の壁に沿って幾つもの担架が無造作に並べて置いてあるのを見かける。しかも全員病人が乗ってるのだ。思わず「マグロの解体工場みたいだな…」という感じで笑ってしまったのも束の間、自分も壁に沿ってドシーンとぶつけられる。強引な縦列駐車?って感じで(笑)

 しばし待ち時間。コレって全員手術待ちなのかなぁ…なんて不安になっていたら、イキナリ知らない男の人がぶっきらぼうに右手に巻いたタグ(名前と年齢と病状と血液型が書いてある)を確認して。すぐにまた奥の自動ドアの中に放り込まれる。パラボラアンテナみたいな巨大な照明が2基あって、その真ん中に入れられる。きっとココが手術室なんだろうな…なんて思いながら。

 入ると直ぐに全身緑の服を着て緑のマスクをした手術スタッフとおぼしき女性が私に名前を確認し、麻酔に関するアレルギーの最終確認なんかする。そしてブットイ点滴を左腕に刺され、何の説明も無くそのまま暫し放置。緑色の服を来た手術関係スタッフ達が「じゃ私、先に食事言ってくるね〜」とか言いながら、一人ずつ減って行って、結局一人を除いて皆居なくなってしまった。ヲイヲイ大丈夫か?思わず笑いたくなる。

 しかし手術室は寒い。医者は暑いんだろうけど、患者は殆ど裸同然なのだ。まぁこの点滴のせいで寒いのかもしれないが。

 それから30分後くらいかな?なんとなく体がボンヤリして来た頃、気づけば周りに大勢の人が戻ってきていて少し安心する。

 そして三角の透明な酸素マスクみたいなものを口に当てられ、「そのまま深呼吸して下さい!」と何回か言われると、驚く事に数回深呼吸しただけで意識が全くなくなってしまった。恐るべし全身麻酔

 その後私の記憶の中では10分程度しか経っていない感じだったのだが、激しい尿意で目覚める。何度か「我想去小便(トイレに行きたいんです)」とうわ言の様に言って起き上がろうとしたのを覚えている。それを力ずくで激しく制され、ずっとおしっこを我慢している様な状況で担架に乗せられて病室に戻った記憶がある。麻酔がまだ完全に解けてないせいか、とにかく寒くておしっこがしたい。という記憶しか無い。

 ただ、妻が非常に不安そうな顔をして「大丈夫?入ってから出てくるまで4時間もかかったのよ!」みたいな事を言っていたのをボンヤリ覚えている。
 で、暫くして、先生と通訳の人が一緒に来て、いろいろと説明をしてくれていたのだが、イマイチぼんやりとしか覚えていない。ただ、激しく覚えているのは「誠に遺憾ですが、手術は失敗しました。」と言った先生の中国語だった。ナンデスカ?それ!?。ジョークにしてももっと気の利いた言い方あるんじゃない?「很遗憾」って。。。思わず爆笑したくなったが、体が全然言う事を効かないので笑うのは後日にする事にした。

 とりあえずこの日はそのまま寝る事に。中国では完全看護というシステムが無い為、患者のケアは基本的に家族か親戚が行うのが常である。しかし妻は子供が小さいので私の付きっきりのケアはできないから、今回、阿姨さん(ヘルパーさん)を雇う事にする。この病院には提携のヘルパー会社やら通訳会社から保険会社まで一通り抱え込んでるので非常に手筈が良い。外国人用なので、単身で来ている事を想定してあるのだ。
 で、阿姨さんが点滴やら尿導管やらのケアを24時間体制で全部面倒を見てくれるのでとりあえず一安心してそのまま眠る。
 遠くで阿姨さんが早速この部屋のシャワーを使って風呂に入ってる音が聞こえたので失笑しながら眠りについた。サスガ中国、みな逞しい。

●明けて翌日7/8(木)
 朝6時起床。ようやく普通の思考ができる様になった感がある。尿導管を入れているので腹部にはずっと鈍痛があるが、大きな腹痛は無い。この時は起きた直後だった事もあり、すべては大した事は無かったのだ。午前8時半、医師の回診があり、初めて昨日の手術失敗の詳細を訊く。

 どうやら膀胱鏡は正常に膀胱までは進めたのだが、私の尿管の出口が非常に細かった為、レーザーの機材がそこから先に入らなかったらしい。穴は見えているのだが肝心の石が見えない。約2時間以上努力したのだが、結局だめだったのであきらめた…との事だ。

 「うーん。穴に入らないなら2時間も頑張らなくて良いんじゃないかなぁ?」などとボンヤリ考えていたら、先生はその場で私の尿導管の先の袋に溜まっている尿を見て「まだ血が混ざっているけど、もう大丈夫でしょう」と言って、すぐにその場で尿導管を外してしまった。
 外す際、焼ける様な痛さがあって泣きそうになったが、まぁ仕方ない。これは以前にも経験しているので大した事ではない。しかしコレが後で悲劇を呼ぶ事は誰もまだ知らない。
 医者は「それでは一日置いて、明後日『体外衝撃波結石破砕術(ESWL)』を行いましょう」と行って部屋を出て行った。

 その後、自由になったし自分でトイレに行ける様になったので、トイレに行って用を足していると、排尿後に激しく膀胱が痛むのだ。そりゃもうトリハダが立つ程痛い。30秒程その場で動けなくなる程痛いのだ。「最初は痛むよ」と言われていたので、まぁそんなモンだろうと思い暫く様子を見ていたのだが、点滴と薬のせいで15分に一度はトイレに行く状態である。行く度に、どんどん痛みが増している気がする。最初は排尿後の30秒だけ痛かったのだが、今となっては何をしてても痛い。座ってても立ってても歩いても痛いのだ。
 勿論、膀胱じゃなくて『尿道』が痛いのは理解できる。今まで尿導管が入っていたので前立腺から尿道に至る部分が尿が通る度に焼ける様な痛みがあるのだが、これは以前に日本でも経験していたので理解できるし、痛い事は痛いが我慢できるのだ。しかしこの膀胱の痛みはどうだろう? しかも最初は膀胱だけだったのに、暫くすると下腹部全体が痛くなってきた。「コレ何かヤバくね???」と思ったので、看護婦経由で医者を呼んで貰った。

 さすがに医者も慌てて飛んできてくれて診てくれた「コレは膀胱がカナリ炎症を起こしていますね。。。勿論炎症を止める薬の点滴をしているので、このまま放っておけば必ず快方に向かいますが、どうしましょう?鎮痛剤で痛みを止める事も出来るけど何か別の現象を見逃す事になりかねないので、今は鎮痛剤はできれば処方したくないです。暫くこのまま様子を見るか、もう一度尿導管を入れるか、のどちらかです。どうしますか?尿導管を入れた方が治りは早いと思うけど。」と仰るでは無いか。

 実は私はこの尿導管が非常に嫌いなのだ。大嫌いと言っても過言ではない。やった事がある人はご存知と思うが激しい違和感と鈍痛を常に抱える事になる。しかも、そもそも抜いたり刺したりする物じゃないし、今は既に尿の色も透明に近く治ってきているので、「このまま様子を見る事にする」と返答したのは言うまでもない。しかし此れがまた仇になるんだな。

 午後6時を過ぎる頃、もうお腹がパンパンに張っちゃって、どこを押しても痛いし、既に何をしても痛くてタマラない状態になってきたので、看護婦経由で医者を呼んでもらう。医者は既に帰り支度をしていたらしく、既に私服状態だったがすぐに来てくれた。状況を察してくれ、その場で「やはり尿導管を入れましょう」と言ってくれた。刺すときも痛いのは判っていたが、もうこうなってしまっては1痛くても10痛くても同じである。

 面白いのは、尿導管を入れる直前にトイレに行った筈なのに、刺した途端に結構な量の尿が出るわ出るわ。「どこにこんだけあったの?」って言う程、袋に溜まって行ったのだ。膀胱が炎症していると正常に収縮できないので、尿が出きらず、それ故どんどんお腹が張ってくるらしい。

 とりあえずコレでお腹の張りはサッと収まったが、膀胱近辺が異常に痛い事には変わりない。ちょっと不安になり「こんな状態で明日『体外衝撃波結石破砕術(ESWL)』なんてしちゃって大丈夫ですか?」と医者に訊いてみた所、「勿論炎症を起こしている間は処置しません。そうですね。3日程尿導管を入れて膀胱の回復を待ちましょう。」という事で、このまま金曜、土曜、日曜と入院する羽目に陥ってしまった。しかしまぁ痛い所に無理矢理処置されるよりはずっと良いので、このまま様子を見る事にした。

 その晩は、結局膀胱の周辺が痛くて一睡も出来なかった。

●7/9(金)
 午前6時、ゲッソリした気分で朝を迎える。膀胱近辺の腹痛自体は大分収まってきたがまだまだ痛い。しかし、良くなってると実感できると、さすがに気分も少しだけ明るくなる。食事も普通に食べられる様になり、このまま土日を挟めば膀胱は完治しそうだな…と思っていた。

 し、か、し! やはり事件は起きるのだ(苦笑)
 午後2時頃、どうも腹の調子がおかしい。尿導管を刺しているにも関わらず、トイレに行きたくて仕方ない衝動に駆られる。最初は気のせいだと思っていたのだが、何となく管が抜けてるんじゃないか?という気になってきた。管が正しく入っている場合は尿を止めようとする動作をする痛いのだが、今は痛くないのだ。尿意も段々激しくなってきたので、看護婦を呼ぶ。 看護婦さんは袋に溜まった尿の量と色を見て「大丈夫ですよ。管は動いても簡単には抜けない構造になってるんです。管は違和感があるので、そういう気持ちがするだけですよ」と言うでは無いか。
 仕方ないのでそのまま5分程様子を見ると、遂に破裂する様にお腹の辺りが暖かくなるでは無いか。「あ〜!ヤバい大変!」と叫んでしまったのは言うまでもない。どっか爆発したのかな?と思ってあわてて阿姨に言って看護婦に連絡し、看護婦はそのまま医者にすぐ連絡。と同時に看護婦が3人程飛んできて処理をする。

 どうやら尿導管を通らずに横のわずかな隙間から尿が大量に漏れてしまったらしい。「ほら〜!だから言ったろ!俺が異常だって言ったら絶対どっか異常なんだよ!」とか涙目で怒鳴りながら、ひさびさのオモラシの感覚を味わう羽目に陥る。まさか43歳でオモラシするとは思わなかった。

 約5分程して、医者がやってきたが、担当の医者ではなく、アシスタント風の若い方の医者だった。彼に状況を説明しても、「いや、大丈夫!良くある事なんですよ。膀胱がね、勝手に収縮をして、本来の管以外の部分から尿が漏れちゃったんでしょ? 此れ大した事無いです。なので特に処置しません」だと。「はぁ? 俺がコレ絶対異常だって言ってるんだよ?」と言っても自信満々で「大丈夫大丈夫。また次にあったら薬を処方しますから、では!」と去って行ってしまった。なんだそりゃ。
 行き場の無い怒りと恥ずかしさとで阿姨と看護婦に色々と状況を訴えるも「医者がそう言ってるんだから…」という事でとりあえず様子見となった。

 しかし、20分後、やっぱり調子がおかしい。どうしようかな。コレ付けたままトイレまで歩いて行こうかな?と考えている所に、私の主治医がまたもや私服で現れた。どうやら一応気にかけてくれているらしい。そこで事の次第を全部説明した所、前回処置してから尿導管の袋に一切尿が溜まっていない事を確認し(溜まった量を判りやすくする為に阿姨に捨ててもらったのだ)10秒程、虚空を見つめて考えて「尿道管がどこかで詰まってますね。直ぐに抜きます」と言ってその場で処置してくれた。

 引っ張りだしてみたら、なんと!尿導管の先に血とリンパ液の混ざった固まりが付着して完全に穴を塞いでいた。そりゃ尿が出て行かない訳だわな。当たり前だわ。
 「だからさー言ったろ?患者自身が『変だ!』って言ったら、絶対異常があるんだって!」とまぁ、この医師に言った所でどうなる訳でもないが、でも担当医師がこの人で良かったととりあえず安堵する。
 さっきの若い方の医者だったら、2回目また暴発して、変な薬を処方されて余計にこじれていたに違いないのだ。いやぁ…怖い怖い。

 担当医は、その後、私の腹痛の状況と尿の色を確認して「もう抜いたままの状態で大丈夫ですからこのまま一晩様子を見て下さい、何かあったら我慢せずにすぐにナースコールで呼んで下さい」と言って去って行った。
 阿姨も、「やっぱり経験って大事よね。あなたあの先生でラッキーよ!」と言ってくれた。
 尿導管もとれ、腹痛も快方に向かい、いよいよ此れで今夜こそは幸せに眠れる!と思った。ホント毎日色々あるなぁ…。

 。。。が、しかし、私に安息の時間は無いらしい。
 次の敵は深夜にやってきた。
 深夜2時、左の背中が段々張ってくるのを実感する。例の結石発作の感覚である。手術は失敗しているのだから、まだ尿管に結石が詰まっているのは事実だ。故に石が動くと尿路が塞がって腎臓が水腎症に近くなり、例の激痛がやってくるのだ。
 昼に膀胱が破裂寸前まで尿を溜めたので、反対方向に石が動いたのかもしれない。

 とにかく、この痛みは既に知り尽くした痛みである。激痛ではあるが20分程度で収まったりする事があるし、結局石が詰まっている以上、鎮痛剤で痛みを治めるしか無いのだ。抜本的な対策が無いので暫しベッドの上で体勢を変えつつ我慢する。以前医者が言っていた「鎮痛剤のせいでほかのトラブルを見逃す可能性は避けたい」という一言が気になっていたからだ。
 なんでこう次から次へとトラブルがやってくるんだろう?私に安息の時間は無いのだろうか?などと泣きそうになりながらも朝まで様子を見ながら耐えた。勿論一睡もしていない。

●7/10(土)
 午前8時、やっぱり我慢できずに回診の際に医者に言って鎮痛剤(座薬)を処方してもらう。約30分後にとりあえず左の腎臓の痛みは収まる。いやぁ…膀胱の次は腎臓ですか。もうホント嫌になってしまう。私のお腹はまさに『痛みのexpo』みたいだ。

 11時くらいに妻と息子がやって来たので今までの痛みの世会博の話を一通りする。とりあえず、膀胱の方も順調に治ってきて、大分腫れはひいてきた。あの背中の激痛が収まってしまえば普通の生活ができるので、少しだけ気分が明るい。私のMacBookを持ってきてくれたのだが、なんとこの病室、壁にLAN(RJ45)の口がついているクセに、つないでもウンともスンとも言わない。妻に頼んでフロントに訊いてもらったら、穴がある『だけ』らしい。壁の中は繋がっていないそうな。なんてこったい。こんなホテルみたいなのにネットが繋がらないとは。。。野良電波も探したが、全部鍵がかかっていて一切見つからなかった。せっかくPCがあってもコレじゃ全く意味が無い。あ〜あ。

 午後から、以前世話になった先輩と約6年前に私の部長だった某2名が見舞いに来てくれた。果物と雑誌を持って来てくれたので非常に良かった。痛みさえなければ普通のヒトなので、ネットも繋がらないし退屈していたのだ。色々な昔話なんかしつつ楽しかった。

 で、今夜は痛みらしい痛みも無いし、ようやくゆっくり眠れる…と思ったのだが、夕方から頭痛に悩まされる事になる。ここ数日マトモに寝ていないので、例によっていつもの偏頭痛が始まったのだ。何でこんなに『痛み』と戦わなければならないんだろう?ホントもう泣きそうである。

 妻と子も帰ったので夕方から眠ろうと努力を続けたのだが、丸一日横になっているせいで体は全く疲れていない。つまり眠れないのだ。いつまで経っても眠りが訪れない。しかも点滴と薬のせいで30分に一度はトイレに行くから尚更である。あ〜あ。

 さすがに見かねたらしく阿姨が気を使って看護婦さんに説明して、看護婦が睡眠薬を処方しようとして医師に電話してくれたらしい。しかし今度は頭痛の方ばかり誇張されて伝わってしまったらしく、脳神経外科?の医者がやってきて、色々難しい事をごちゃごちゃ言うからもう何だか面倒臭くなってきた。
 結局、睡眠薬は「普段飲まないなら飲まない方が良い」との結論にて、自力で寝ようと努力する羽目になった。そんな風にして私の5日目は更けて行く。

●7/11(日)
 明けて11日、夜中トイレに8回くらい起きた記憶はあるが、何とか少しは眠れたらしい。なぜか何の脈絡も無く、女優の菅野美穂と白いコルベット(しかもコンバーチブル)に乗ってドライブする夢なんか見た記憶があるので、多分少しは睡眠がとれたのだろう。とにかく頭痛はなくなってたので良かった。
 しかし何故に菅野美穂? 因みに、別にファンとう訳ではない。

 さて、外は雨である。今日こそは痛みの無い一日が送れるハズだ。いや、送らせて下さい!と殆ど神頼みの様な一日が始まった。すると、今日は不思議と特に大きな問題は起きず、午前中はようやく安堵の時間を過ごした。

 午後遅くに、友人のナベッコさんとプーアルさんが見舞いに来てくれた。今日は体調が良くて退屈していたので非常に助かった。私の痛みの博覧会の話を一通りした後は、例によって色々な中国事情やら日本の政治の話なぞ。普段我々が飲み屋でしている内容と全然変わらなかったので、何となく不思議な気分になる。ワインがあればB3に居るのと変わらない(笑)こんなに気分的に明るくなったのは入院以来初めてかもしれない。

 そして彼女達が帰った後、シャワーを浴びてこの日記を書いているワケだ。今日はちゃんと眠れます様に!

 菅野美穂とのドライブの夢の続きを観ようと一生懸命考えていたら、途中で桜井幸子に変わっていた。そういえば何となく似ているかな?

 この夜は蚊に3度起こされた。顔の周りで蚊が騒ぐのだ。何なんだよぅ。もー。

●7/12(月)退院
 朝6時起床。昨夜は1時間に1度トイレと蚊で目が覚める。こんな状態じゃマトモな睡眠なんかとれやしない。しかし、今朝は頭痛も無いし、腹も痛みらしい痛みが無かったのでもうヨシとする。
 朝食なしで、そのままレントゲンを撮りに行く。その場で現像した写真を見せてもらったら、まだ石がしっかり存在していた。くそーこの石のせいで本当に酷い目に遭っている。

 部屋に戻ってそのまま休憩。午前8時半過ぎに医者がやってくる。今回関わった医師全員がやってきて、総括?みたいな説明を始める。
 「膀胱の腫れはほぼ完治に近い様ですが、このまま直ぐに体外衝撃波結石破砕術(ESWL)を行うと更に膀胱に負担をかける可能性があるので、一旦退院してもらい、5日ほど間を開けて、今週の金曜日の朝8時15分に再度ココに来て下さい。直ぐにESWLの処置をします。手術は約1時間。今回は尿導管も入れませんし、特に麻酔もしません。その後は丸一日入院してもらい、夜まで膀胱と石の様子をみますが、何も問題なければ夜に退院できます」との事。

 「何だよー最初っからそれヤレば良いじゃん!!!!!!!」と叫びたい気持ちで一杯だが、私は以前このESWLを受けた事があり、この処置が100%成功するものではない事を知っている。故に膀胱鏡で石に直接レーザーを当てられれば、それが最も確実なので、彼らの判断は決して間違っては居ないのだ。(技術レベル的にどうだかは全身麻酔の中なので誰も判らないが…)
 ただ、ESWLは結局、尿管の外から管ごと叩いて中の石を割る行為に近いので、まず第一にちゃんと割れるかどうか判らない。第二に割れても尿管のサイズ以下にならなければ石は出て行かない。第三に割れた石がまた別の場所にひっかかる可能性がある。第四に長時間同じ場所に居続けた石は、皮膚と癒着してる可能性もある。…とまぁ非常に曖昧な手術なのだ。

 何はともあれ、コレが最後のチャンスだろうな。サスガにコレに失敗したらもう日本に帰ろうと心に固く決心したまま、退院して家路についた。

…とまぁ、非常に長くなったが、中国での初入院(第一章)でした。
結局痛いだけで何一つ得なかった一週間だった。未だに小便する度に尿道は痛いし、膀胱の左下も鈍痛が続いている。
もうね、勘弁してよ!ホント。。。。