中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

ようやく一息

 通夜、告別式、初七日…と、ココ数日は色々と忙しかったが、昨日一通りの行事が終わり、ようやく少しだけ一息つける状態になった。

 いやぁ…今回改めて思ったが、葬儀って大変だ。。。 亡くなったら少しの間は悲しんだり色々と考えたり出来るのかと思っていたのだが、実際にはそんな暇は一切無く、直ぐに葬儀屋さんとの『リアルな』打ち合わせが始まり、数時間もしないウチにあれこれ決めなきゃならないので、正直頭が回らなかった。
 何と言うか右脳と左脳を一気にスイッチしないと事が運ばないのだが、意外とコレ、人の死に直面すると、中々直ぐには切り替わらないモノなんだなぁ…と改めて実感。
 父の場合は癌だったので結構前からある程度覚悟していたのだが、それでも「もうチョットゆっくり考えさせてよ…」と思う様な部分もあったので、事故等で突然亡くなられた方は、こんな事は拷問に近くて絶対出来ないと思う。
 …とは言え、葬儀屋のシステマティックな仕事っぷりにはカナリ助けられた。凄い商売だと思う。担当の方は若いのに、何もかもが鮮やかな手配っぷりで感服した。素晴らしい。やはり『ヒトがやりたがらない事』だからこそビジネスが成立するのかもしれない。
 人間、心が弱ってると判断が鈍るのだが、上手く鼓舞してくれたお陰で、母も全く取り乱さずに何とか葬儀を乗り切る事ができた。感情的になりすぎるのも良く無いし、かといってデジタル過ぎるのも冷淡で良く無いが、きっと多くの現場をこなしているのだろう、凄く良い塩梅で、こちら側としては不快感は一切無かった。

 通夜の夜は一晩中お線香を絶やさない様に葬儀会場に泊まったのだが、もう一点『素晴らしいな』と思ったのは、うっかり寝てしまった時の為に、10時間くらい持つお線香をサブとして横で炊いてくれていたのだ。いやぁ…凄い発想だ。蚊取り線香を細くした様な渦巻き状なので見栄えはイマイチだが、これならば『うっかり』は無くなるわな(笑)要望が有る所にこそ解決方法は有る。

 そして翌日、告別式の後に、チャーターしていたマイクロバスで火葬場に向かったのだが、火葬場に着いて驚いた事は『亡くなる方が実に多い』という事実だ。釜が空いている時間が一切無い。朝から晩まで釜が予約で完全に埋まっている…という事実を目の当たりにして正直驚いた。
 実際に完了するまで1時間半くらいかかるので、その間は待合室で待っているのだが、横目で見ていると、次から次へとベルトコンベアの如く、どこからとも無く霊柩車が到着して、時間割通りに棺桶が釜に運ばれるので、何と言うか驚くのを通り越して、凄く『シュール』に感じてしまい、この世の光景とは思えなかった。
 これが最後の最後なんだし、ちょっとはドラマティックに感情に浸らせてくれるのかと思いきや、超『あっさり』である。釜の前で住職さんがお経を上げてくれるのだが、それすら『ビデオの早送り』を見ている様な気分になってしまった。

 また、終了後に遺骨を骨壺に運ぶ行事をナビゲートしてくれる女性スタッフが、参列者が一通りお骨を拾った後は、まるで新しい家電を説明する販売員の様にニコやかに軽快に「この骨は何処の部位で…」と説明しながら残りの骨を骨壺に纏めてくれるのを見て、何となく『不気味』に感じてしまった。まるでルイス・キャロルミヒャエル・エンデの世界だ。いやはや。

 でも、ひょっとすると自分の方がズレているのかも知れない…。いやでも『死』に直面してる訳で無意識にも若干は感情的になってるだろうし、それ故『時間』に対する感覚がズレている可能性は否定出来ないもんね。


 さて、日本の関東地方は今日は風が強くて少々寒かった。雲がスゴい勢いで流れていてチョット幻想的な形をしていた。

 そして、先日(まだ父が生きていた頃)ネットで購入した電池が丁度『今朝』届いていたので、良い機会だし止まってしまった時を動かす事にした。