中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

外国語を話す事

 今日は会社の送別会があった。中国人の若者16人と共に老锦江ホテルの敷地内にある日式焼き肉『松坂』に向かう。勿論食べ飲み放題である。若者は底なしに食べるし飲むのだ(笑)

 私を除くスタッフの平均年齢は約26歳くらいかな?喰うわ喰うわ、面白いくらい肉を喰う。しかもカナリの勢いでビールも飲んでいた。6年程前に中国に来たばかりの頃は、会社の飲み会というのは食事会に近く、殆ど飲まずに喰うだけ喰って帰る…というパターンが多かったのだが、ここ数年で大分変わった様だ。

 宴会は約3時間で終了。食後、スタッフと別れ、一人でYesterdayに寄ってから帰る事にする。
 カウンターに座ったら、隣の西洋人が英語で気軽に声をかけてきた。このバーはこういう気軽さが良い。どうやら彼はアメリカ人で、Intelのエンジニアらしい。普段は大連に勤めているのだが、今回は客先訪問を兼ねて万博を見に来たそうな。

 最近、全然英語を話さなくなったので、脳のスイッチが中々切り替わらずに、アメリカ人に大して中国語で返事をしてしまって自分でも笑ってしまった。瞬間的に無意識に「对」とか「那个」とか出てしまうのだ。
 昔、赴任したばかりの頃は中国語が全く出来なかったので、スタッフとの会話が全て英語だった事もあり、英会話は(レベルは低いが)そんなに困らなかったが、最近は中国語ばかりなので英単語より先に中国語の単語が出て来てしまうから笑える。

 日本人同士で喋っていて中国語が出て来る事は殆ど無いので、きっと私の脳は『母国語』と『外国語』の二種類しかないのだと思う。外国語のエリアに中国語が鎮座していると、外国人の誰に対しても中国語になってしまうし、暫く英語で話をしていた後だと、中国人に向かって英語で喋ってしまったりする。
 脳味噌のメモリーが小さいのでバンクチェンジをして使い回しているんだな、きっと。

 それでも何とか無茶苦茶な英語を使いつつ、約2時間程『中国文化』の話をしたりして?中々楽しかった。この地で仕事をする外国人は皆同じような苦労をしていて笑える。


 外国人と外国語で会話をしていていつも感じるのは、日本人の異常なまでの生真面目さと「『恥』の文化」の悪しき副作用!?みたいなモノだ。彼らは我々日本人を『シャイ』と呼ぶが、これは文化の問題であって、決してシャイとかの問題じゃないんだな。

 特に日本語というのは良くできた言語で、他の言語に比べてい曖昧さが少ないから、【言葉が通じない=話し手のミス】という図式が容易に成立してしまう。つまり、これは『ちゃんと喋れば絶対通じる』という『大前提』の元での考え方なので、それゆえ外国語に対する考え方というかハードルが非常に高くなってしまってるのだと思う。
 「伝わらなかったら格好悪い」とか「気まずい」とか「恥ずかしい」と考えてしまって喋らなくなっちゃうヒトが非常に多いので、シャイだと思われちゃうんだなぁ。

 しかし中国なんて大前提からして全然違う。中国語はかなり曖昧な言語だし、地方によって50種類以上の全く違う方言が存在するため、たとえ標準語を使った中国人同士での会話でも一発で真意が伝わる事は非常に稀だったりするのだ。つまり、生まれたときから『言葉というのは曖昧さを含んでいる』モノだと思ってるし、それゆえ言葉に完璧さを求めていない。
 だから、ちょっと乱暴な言い方をすれば国民全員が外国人同士みたいなモノなのだ。とりあえず喋ってみて伝わらなかったら別のヒトに訊けば良いや…という考え方なんだな。そこに『恥ずかしい』なんて感覚は一切無い。寧ろ『伝わらないのは受け手がバカだから』という図式だったりするのだ(笑)

 それゆえ外国語に対するハードルも低い。バーの店員なんかでも意外とサラッと『気軽に』英語を話したりするのだ。要するに「伝われば良い」という事を知ってるので文法なんてクソくらえ!である。とりあえずガーッっと喋って、あとは受け手側に組み立ててもらえば良い…と考えているから、どこの国のヒトに対しても怖じけず、知ってる単語だけ使ってガンガン喋る。その反応を吸収して伸びて行くので語学能力が高いのだ。こりゃ完全なるオブジェクト指向だな。

 さて、何だかグダグダと下らない事を書いてしまった。要するに何が言いたいかというと、私の中国語レベルも英語レベルも一向に上達しないし酷いモンだけど、ちゃんとそれなりに伝わってはいるので、日本人の皆さん!勇気を持って喋りましょう!って事だな。
 あとは息子の将来の教育の事なんか?マジメに考えちゃったりして。。。結局、親ばか日記である。

 全然纏まらないので今日はこの辺で(笑)