中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

レコード

 日曜日である。今日は足の捻挫を早く完治させるため、基本家で安静にしていた。お陰様で大分良くなった。湿布だけでこんなに治るんだから人間の自然治癒力って凄い。

 さて、考えなきゃイケナイ現実は山盛りだが、ずっと考えてるとコッチが病んでしまうので、気晴らしに実家の部屋の片付けをしていたら、アナログコードが100枚くらい出て来た。コレ捨てるに捨てられないんだよね。。。
 何となく、また聴いてみたい気になるものだけ引っ張りだして来て並べてみた。

 うーむ。レコードってジャケットがデカいから眺めてるだけで楽しい。少々インディーズのレア物が多いが…。
 以下、アーティストさんの敬称は省略させて頂くが、面白いのは、コレクションが凄く偏ってるって事だ。YMOや各ソロや YMOファミリーのアルバムは前半のは全部あった。尾崎亜美亜蘭知子もレコードで出てるアルバムはほぼ全部ある様だ。EPO鈴木さえ子大貫妙子も結構ある。面白いのは同じジャパニーズフュージョンでも Casiopeaは結構な枚数があるのに Squareは1枚も持ってなかった。洋楽は Devoとか Sheena Eastonとか、Franky Goes to HollyWoodとかメチャクチャ。考えてみたら高校の頃にCDという物が世の中に登場し、徐々にCDプレイヤーが普及し始めたので、レコードって基本は中学時代〜高校前半なんだよね。

 これ、フト思い出したのだが、当時は友人同士でレコードの貸し借りが前提だったのだ。今思えば中学生にとって 2,500円〜2,800円って結構な値段で、他にも使う事を考えると、レコードだけ毎月買える訳じゃない。悩みに悩んで数ヶ月越しに買ったりしたのだ。で、当時は友達もみーんなそんな感じだったので友達が買ったレコードは借りれるから、自ずとヒトが持っていない物を買う羽目になる。後に『友&愛』とかの貸しレコード屋ができる前くらいまでは、友人とのコミュニケーションは8割方レコードの貸し借りで、何より音楽の話題が生活の全ての『中心』だった。良い時代だ。

 そりゃそうとワタクシは高校1年くらい〜浪人時代まで、ちょっとワケあって世の中に対してホンキで怒っていたので、日本のインディーズに凄くハマった時代がある。その頃は今みたいにインターネットなんて無いから一部の『濃ゆ〜い月刊誌』と、後は自分の『足』で探すしか無かったのだ。三軒茶屋に『フジヤマ』というインディーズばかり扱ってるレコード屋があったのだが、お客さんが結構コアなお兄様お姉様ばかりで、当時はウブな学生だったので、ビクビクしながら行った記憶がある。懐かしい。

 コレはZELDA前の『招き猫カゲキ団』のマキシ。これに収録されてる『砂漠のマリアンヌ』って曲の歌詞の世界が超怖くて好きだった。戸川純然り、『狂気の手前』みたいなギリギリの線で歌われるパンクっぽい『魂の叫び』みたいなのがヤタラと好きで、頭振りながらトリハダ立てて興奮していた記憶がある。そう言えば、今は無きインクスティック芝浦ファクトリーとかも良く行った。
 この辺のアルバムを引っぱり出すまでスッカリ忘れてたケド、ひょっとすると音楽のルーツはこの辺(ジャパニーズパンク)だったのかもしれないなぁ。 時代が満たされちゃって、昔みたいに社会派チックに怒らなくなってしまい『伝えたい』的な情熱が何だか無性に格好悪く感じられてクールに気取ってたけど、趣味として今でもその傾向は有るかも。
 色々思い出してたら、またトガった事を演りたくなって来た。今は『テクノロジーを駆使したパンク』をやりたいな…なんて思ったりして(笑)