中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

愚鈍

 月曜日、広州は曇り、気温は 22度。徐々に暖かくなってきた。

 朝 7時半に目覚ましで起床。ブルーマンデーとは良く言ったものだ。月曜の朝がハツラツとしていた記憶が全く無い。まぁそれだけダメ人間って事ですな。
 でも昨夜の訃報を聞いて自分の残り人生の少なさを実感したので、なるべくダラダラしない様に過ごす。

 いつも通り 9時くらいに家を出てシェアサイクルで 20分の自転車通勤。今日は雨が降ってなかったのでちゃんと 20分で着けた。…とは言え、エレベーター待ちとか歩く時間を入れるとドアtoドアでやっぱり 30分ってトコだな。ま、通勤時間的には良い距離ですよ。(自宅の周りは開発地区ゆえ、なーんも無くて全く面白味がない事を除けばね)

 朝からフツーにお仕事。今日はお昼にウチの全グループのサウンド部門(一番大きな括りの部署)の HRBPから個別面談の要望が突然来たので、仕方なく昼休みに会議室に行って色々とリモートで近況報告。

 もうね…悪いけど、別にクビになっても良いので、今までの不平不満を全部ぶち撒けましたよ!

 正直、こんだけ長いあいだ広州に拉致られるとは思ってもなかったので、完全に『騙された』と言っても過言では無い。入社時の話では「月の半分を上海、月の半分を広州でお願いします」って言ってたんだぜ? 入社してから今までの 9ヶ月、上海に帰ったのは国慶節と正月の 2回きりである。
 HR担当者は「上長が帰省の許可をくれないのですか?」と聞くので、上長からは「別にいつでも上海に戻っても良いですよ!仕事がちゃんと回るなら…」って感じで、やんわり『責任感』を人質に取られてる状況を説明した。
 実際、上長は「今はリモートで幾らでも出来るでしょ?なんで帰らないの? あなたが勝手に広州に居残ってるだけじゃないの!」…とか言い出す始末なので「だったら、こんなに火を吹きまくってる緊迫した制作現場で、日本人相手に(今関わってるのは日本との合同 PJなので、こっちに駐在してる日本人と直接やりとりしている)月の半分放り投げて不在にしたらどうなるか、お前がやってみろよ!」と言いたい。

 ま、そんな感じで約 45分ほどかけて洗いざらい全部話した。どこまで緊迫感が伝わったか謎だが、もう別に良いや!(投) 昨日の教授の話じゃないけど、人生短いんだから我慢をし続けて寿命を縮めるのは意味がないじゃん? ヲレは音楽やりたいんだよ。そもそも音乐の专家で入社した筈なのに、今の仕事はほとんど音楽には関係ないからね。

 言いたい事を言ったら、かなりスッキリした。まぁ自分の娘くらいの年齢のHRの女の子に愚痴ったって、何一つ変わるワケ無いんだけど、会社としてわざわざこういう機会を設けるって事は、こういう意見を吸い上げたいんだろうし、別にコレで状況が更に不利になったらそん時ゃ飛び出すまでだ。 どんだけ給料積まれたって、妻や息子の不満ばかりが溜まって行って挙句に離婚騒動なんかに発展したら本末転倒である。そもそも、この話、ハナっから眉唾だったんだよ。(このブログの長い読者さんなら去年の夏前に上海でロックダウンを喰らってた頃の出来事をご存知だと思うがw) 自分の意思とは裏腹に、神の見えざる手によって決められた運命?みたいなモンだったからね。当時のブログ見ても『気乗りしない』ってちゃんと書いていたw

 さて! 面談後は気分を切り替えてオシゴトである。仕事は仕事!仕事内容に罪はない。このゲームがいつか『ちゃんと』発売された時、少しでも胸を張って「自分も少し関わってたんだぜ!」と言える様に、お客さんの笑顔だけを考えて頑張るのみ! (ま、発売前にクビになるカモしれないが、それならそれで上等!社内のヒエラルキーなんてクソ喰らえだ。あはは。 とっとと上海に帰るべっ!なぁに、最悪なにやったって喰って行けるさ)

 そっからは記憶がないくらい忙しく過ごし、気付けばスッカリ20時である。夕飯を食べるの忘れてたので例の猫カフェで日式うどんをば。

 どーでも良いけどさぁ「うどん」と日本語で発音する度に、毎回「愚鈍」に似てるな…と思う。

 そんな愚鈍なワタクシ。
にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村