中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

撮影と病院と同窓会と捻挫

 金曜日、晴れのち小雪。今日は午前中から三脚と一眼レフを持って出かけ、某 PJで使う BGVの撮影を行いつつ、打ち合わせ場所まで移動。撮影は恵比寿、六本木、新宿…とここまで来た時点で天気が崩れ始めイキナリ雪が降り出す。

 六本木で中国大使館に行き、その足で代々木まで移動して打ち合わせ。その後は本来ならば国分寺の方まで行く予定だったのだが、急遽予定を変更して、親父が入院している病院に向かう。
 実は今朝病院から電話が入り、親父の主治医から「色々と説明したい事があるので本日17時に病院まで来て下さい」と言われたのだ。老いた母親と病院で待ち合わせをして主治医の話を訊いた。

 父は末期の肺がん患者で、今まで数度の抗がん剤治療を受けているのだが、既に脳にも転移しており、また今まで何度も入退院を繰り返していて体力も衰えて来て、最近は足腰が弱って自分では立てない様な状況なので食事もうまく取れず、それゆえ実際の抗がん剤のターンが終了した後も、そのまま入院をし続けて点滴を受けているのだが、日本の医療制度というのは非常に難儀なモノで、積極治療を行わない患者は長期入院できない仕組みになっているらしい。抗がん剤治療は勿論積極治療なのだが、その後に調子が悪くなった場合でも(抗がん剤は正常な細胞をも破壊するので、普通は往々にして様々な部分で調子が悪くなる)基本的に一度は家に戻され、家で療養する方が多い。それ故「数日でも退院してくれませんか?」という話だった。
 しかしウチの親父は足が悪く自分で立てないし座る事も出来ないので食事もロクに喉を通らず点滴を続けている状況なのだが、血管が細くなり過ぎて痛いらしく、点滴をも本人が嫌がっている…との事で、最近は衰弱が激しい。この状況下で、腰や耳が悪い老いた母が一人で自宅で介護できる筈が無いのは自明なので、色々と相談する事になったのだ。

 中々へヴィーな話でカナリ疲れたが、とりあえずこちら側の意向は伝え『療養型病院』へ転院する方向で調整する事になった。入院費は非常に高額らしいが、現実問題他に手が無い。それに親父本人にしたって、何かあった時に直ぐに処置対応できないのは不安だろう。そんな訳でこれからまた色々とやらなきゃイケナイ手続きが増えた。


 病院を出た後は、ワタクシは約束があったので母と別れ横浜に向かう。今日は上海の仲間でたまたま出張中の友達と本帰国になった友達とで集まる約束をしていたのだ。まさか、今日こーんなヘヴィな話があるとは思っていなかったので、何とも複雑な心境のまま横浜を歩きつつ、顛末を会社にメール入れなきゃな…という事でスマフォで打ちながら歩いていたら、目の前の段差に気付かずに思いっきりコケてしまった。
 また運悪い事に、高校時代に捻った左足の足首を全く同じ方向に捻ってしまったのだ。激痛で叫びそうになった。

 目の前にマツモトキヨシがあったので、直ぐに湿布を購入して、ベンチに座って貼ったが、やはり歩くと超痛い。「あ〜あ、やっちゃた」って感じである。弱り目に祟り目?ツイて無い日はツイてないね。

 とは言え、待ち合わせがあったので、左足を庇う様にゆっくりと引き摺りつつ駅まで向かった。
 その後はまず上海の音楽仲間である M田さんとイタリアンで食事。

 座ると足は痛く無いので、気にせずワインなんか飲んでしまった。(あとで後悔する羽目になる)
 その後は店を移動して、I崎さんと合流。彼は千葉の方なのにわざわざ会いに来てくれたのだ。

 色々な話をしているウチにあっという間に終電の時間になった。さて帰ろう!と思って靴を履こうとしたら左足だけ痛くて入らない。ええええ? まぁ何とか無理して平静を装いつつ足を突っ込んで、頑張って終電に乗って、駅からはタクシーで帰宅。
 帰宅してから左足を見てみたらカナリ腫れててびっくり。そりゃ痛い訳だ。。。。

 あ〜あ。お酒なんか飲むんじゃなかった(後悔先に立たず)
 しかも、ワタクシは海外居住者ゆえ、既に住民票を抜いているので保険証が無いのだ。つまり医者にも行けない。まぁフツーにしてれば(歩かなきゃ)痛く無いし、以前やった時の捻挫と全く症状が一緒なので多分骨は大丈夫だとは思うけど。。。とりあえず2〜3日様子を見ようと思う。 いやはや…我ながら情けない。皆様『歩きスマフォ』は注意しましょうね!