中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

またクルマに乗りたくなってきた

 水曜日、上海は曇り時々晴れ、気温は37度。
 今日も今日とて丸一日部屋に閉じこもって惰眠を貪る無駄な一日である。なんでこんなに眠れるんだろう?実に不思議。でも相変わらず夢の中ではチャイナジョイでミスる夢ばかりみて冷や汗かいて起きる…という日々。まーったくもぅ。夢の中まで仕事するな!っつーの。
 さて、実は子供達は夏休みゆえ、先週からウチに親戚の子が泊まりに来ている。彼女はウチの息子の 1つ年上の義姉の娘なのだが、まぁトシが近いから仲が良いんだけど、この二人が家に居ると、とにかく騒がしくてカナワん。本来は家でギックリ腰の療養をするつもりだったのだが、全然落ち着かないから困りものだ。ま、子供達に罪は無いケドね。
 そんなワケで一歩も外に出ずに丸一日家に居たので写真ネタが無い。ちょうど昔の写真フォルダの整理なんかしていたので、折角だし昔乗ってたクルマの写真でも貼っておこうかな。
 コレが大学 1年の時にワタクシが一番最初に購入したクルマ。1978年製の TOYOTA CELICA XX 2000G (PearlWhite/MT) 確か先輩から 4万円で売って貰った記憶がある。懐かしのフェンダーミラー。

 ロングノーズショートデッキを絵に描いた様なアメリカかぶれの大型 3ドアハッチバック。直列 6気筒の 2000ccのエンジンは重たいボディにはカナリ非力で全然パワーは出なくて燃費も悪かったけど、マニュアルミッションはとても楽しかった。このクルマは開口部が非常に大きなハッチバックを備えていた為、後ろに楽器がヤマほど積めたので軽井沢まで数回合宿に行ったなぁ。結局 10年過ぎて車検が 1年になってしまったので諦めて乗り換えた。ドノーマルで乗ったのはコレが最初で最後かも。
 次に乗ったのがコレ、1981年製の HONDA QUINT 1600 (Yellow/MT)。クイントインテグラになる前の箱形 5ドアハッチバックである。結局大学 2年から 4年まで、ずっとコレに乗り続けた。

 ワタクシが買った時は確か 3000kmくらいしか走っていない状態の良い中古で、コレに搭載されていた SOHC CVCCの 1.6Lエンジンは非常にパワフルで軽いボディと相まってキビキビ走ったので楽しくて仕方なかった。燃調も電子式になる前のキャブレター式で、ボンネット内も綺麗に整頓されていて手が入る作業スペースがカナリ広かったので、素人でも簡単に弄る事ができた。エンジンの『いろは』をこのクルマを弄くり倒して覚えた様なモノだ。このクルマであちこちのライブハウスを回ったなぁ…。最も駐禁を切られたクルマでもある(笑) しかし 91年に卒業と同時にまた 1年車検になってしまったので泣く泣く手放す。
 そして次に買ったのがコレ。1984年製 SUBARU ALCYONE VR-Turbo 1800 4WD (WineRed/MT)。Cd値が 0.29という楔形流線型の近未来 2ドアクーペ。

 このクルマは、それまで自分が知っているクルマとは『何もカモ』が違っていて非常にエンジニア心を擽る素敵なクルマだった。まず 4気筒の水平対向ボクサーエンジン&ワタクシ的には初めてのターボ車、そしてスイッチにて切り替えが効くパートタイム 4WDである。サスペンションも非常に凝っていて車高調ができるエアサスが標準装備だったし、コックピットは当時は珍しかったチルト&テレスコピックのステアリングに、ハンドルから手を離さずに殆ど全てのボタンが操作できる集中スイッチユニット。リトラクタブルヘッドライトも初めてだったし、ワイパーは振る角度で長さが変化する一本ワイパーである。なんじゃこりゃ。まるで当時の技術の博覧会だ。 4WDユニット+エアサスで総重量が 2トン近くあったので非常に重いのだが、シャーシが非常にガッシリしている事に加えターボエンジンも結構良く出来ていたし、ブレーキの設計も良かったので重さはそれほど感じなかった。しかもこのエアサスが非常に良く出来ていて、若干『固め』では有るのだが地面に吸い付く様にしなやかに収束してくれて乗り心地が良く、その割に横方向には殆どロールしない…という優れものだった。確か左の後ろのソレノイドが壊れて一度交換したが、それ以降は全くトラブルが無かった。後にも先にもコレより良いエアサスに出会った事が無いかもしれない。そしてエンジンだが、コレも弄くりまくって、VVCというバリアブルバキュームコントローラーという装置を付け、過給圧を上げて結構『やんちゃ』な事をしていた記憶がある。燃調がインジェクター(電子制御)なのでコンピューター頼みなのだが超マイナー車ゆえ ROM交換が出来ず、結局過給しても『空気』ばかり増えるから、やり過ぎると燃料が希薄になって最大加速時にノッキングする…というアフォな仕様だった。今考えれば良くエンジンが壊れなかったモノだ。 4WDはセンターデフが無い構造だったので、一度ロックするとステアリグを切った状態でバックしないと外れない…という面白い仕様だった。しかもこのクルマのマニュアルミッション車は皆無に等しいのだが、ワタクシが所有していたのはマニュアル車だったのだ。実に楽しいクルマだった。4WDにするとプッシングアンダーが激しくてドライ路面では怖くて仕方なかったが、雨の日や雪の日は恐ろしく安定していたのも懐かしい。
 そして最後に日本を離れるまで12年乗っていたのがコレ TOYOTA SERA 1500 (Turquoise mica/MT) ご存知日本では希少なガルウィングドアのクルマである。ワタクシはコレを新車で購入。しかも特別色指定(ターコイズイカ)+マニュアルミッション車指定だったので 2ヶ月の納車待ちを経て購入した。いやぁ…美しいクルマだったなぁ。


 もし上海赴任にならなかったら、きっと今でも乗っていたと思う。それほどまでに愛して止まないクルマだった。コレはガワは派手だが中身は実は EP82スターレットとシャーシ互換があったのだ。故に殆ど EP82用のパーツに交換して武装しまくった。ドアが上に開く関係で開口部が大きく、ボディが『捻れ方向の力』に弱かったので無理矢理内装を削ってストラットタワーバーを入れ、エンジンを降ろして TRD製のヘリカル LSDを入れたり、足回りはダンパーは KYBの EP82用、スプリングは TRDに変更して若干車高を落とした。そしてマフラーは Fujitsuboガリス(無駄にウルサイのはキライなので)吸気は HKSのキノコに変更。プラグコードからプラグまで全部 TRD製に総とっかえ。…てな具合で、こう見えてサーキットでは結構速かったのですよ。5E-FHEというハイメカツインカムは低燃費方面に振ったへなちょこエンジンと馬鹿にされるケド、吸排気を弄って、常に 4,000回転以下に落とさない様に走れば意外とイケるのだ(コナミ時代に所属していたクルマのサークルで、サーキットを借りて草レースをやったのだが FF枠では並み居る強豪を抑えての堂々 1位だった)見た目は極力おとなしくしたけどね。
 嗚呼…なんだか色々と思い出しつつ書いていたら、また無性にクルマに乗りたくなってきた。いやクルマを弄りたくなってきた…が正解かな(笑)
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