中国de音楽4

中国在住の日本人音楽家による、日々の日記です。

32年前の冬の朝

 木曜日、広州は曇り、気温は 6度。

 朝 7時半に目覚ましで起床。最近多分朝 6時くらいに一度起きてトイレに行ってる気がする。寒くて直ぐに二度寝してしまうのでイマイチ覚えていないが、朝起きたらスリッパの位置が変わってるので、多分無意識に行ってるんだと思われる。自分で覚えていないなんて、どんだけ老人なんだろ? 笑えないなw

 起きると部屋の中が 12度くらいしかないので、目覚めたらまず靴下を履いて上着を着てベッドを出て、作業部屋のエアコンを点けるところから始まる。
 こういう冬の朝って意外と嫌いじゃないのよね。 とりあえず熱々のコーヒーを淹れて、それを啜りつつ窓の外を眺めながらフト昔の事を思い出した。

 以前にもこの日記で書いたかもしれないが、ワタクシは大学を卒業して直ぐ、川崎にある某ソフトウェアハウスに就職し、会社に内緒で 2年ほどマイカー通勤してた事がある。
 当時勤務していた会社が、伊達に駅前の一等地にあったので付近の駐車場代が無駄にバカ高くて、新卒入社で数年しか経ってない様なサラリーマンには到底借りられない様な金額だったワケさ。で、当時、昼休みに会社に営業に来ていた生保レディの若くて派手なお姉さん(当時は派手に着飾った生保レディが香水の匂いをプンプンさせながら、お昼休みに保険のパンフレットや飴やらを持ってオフィスにズカズカ入ってこれたのだよ。今じゃ考えられないよね。実にユルい時代だった。確か同い年だったから23~24だな)と仲良くなって、ちょっと高めの保険を契約する代わりに内緒でニッセイの社員駐車場を借りてもらう約束をしたのだよw 向こうが『どうしてもその月に達成したかった営業成績』が欲しかったのも前から色々話して知ってたしね。 いやぁ…我ながら何てズル賢いんでしょ! ま、32~33年前の話なのでもう時効だろうw

 そんな訳で、結局朝はアッシーをしなきゃならなくなったが、ワタクシは大好きな自分のクルマで晴れて堂々と!? マイカー通勤ができる様になって、アフォみたいに押し込まれる修行の様な東海道線の満員電車から解放されたし、彼女はウチから会社までのちょうど中間くらいに住んでて通勤時間が同じで、8時半過ぎに川崎に着けば良かったので楽できるし、お互いメリットが合ったのだよ。
 何より、20代の若かりし自分は、かなりチョロかったので、モデルの様にスタイルが良くて、マハやサーカスに居そうな派手めなバブリー美女を助手席に乗せて毎朝送り迎えするのは、それだけでチョット誇らしかった!?のだよw 別に付き合ってたワケじゃないのにねw いやぁ…色々とバブリーな時代だった。 自分も毎日パリっとしたスーツを着て、ちゃんとネクタイして通勤してたしね。今じゃ考えられないほど痩せてたし(苦笑) 当時はタマタマお互い付き合ってる相手が居なかったので特に何とも思ってなかったが、朝っぱらからニコリともせずに疲れた老夫婦みたいに当たり前の様に毎日送ってたんだから…誰かに見られたら誤解されるわなw 

 あれ?話が逸れた。そうそう。冬の朝のハナシですよ!

 国道 1号線や 15号線の朝の渋滞は尋常ではないので、渋滞を避けるべく 6時半くらいには家を出ていたのだ。 故に冬場はかなりツラくて、まだ日がのぼる前の薄暗い駐車場で凍える手でエンジンをかけ、シートと自分の太ももの間に手を挟み込んでブルブル震えながら暖気している時間が結構好きだったのだ。カーステレオはカセットテープしかなかったので、リリースされたばかりのユーミンの Dawn Purpleなんか掛けながら明けゆく紫色の空を眺めつつ…ね。 今調べたらあのアルバムが出たのが 91年なので 91年の話だな。

 ある程度水温が上がると自動的にサーモが働いてヒーターから温風が出てくるので、それと同時にギヤをローに入れて、そっとクラッチを繋いでゆっくり走り出す。そんな厳かな儀式が好きだったなぁ。
 あー懐かしい! ガソリン車が絶滅する前に、またクルマを所有したいなぁ。このまま中国に住み続けるんじゃ無理だろうケド。

 さて、しばらく 32~33年前に思いを馳せてたらあっという間に午前 9時である。慌てて準備して家を出て会社へ。

 仕事は相変わらずなので割愛。

 昼は社食でビフテキ(死語)

 夜は同僚と水煮魚。食欲に勝てないラブリー56さい。米は半分くらい残しているが明らかに食い過ぎ。

 22時まで残業して、帰宅後はコロナビールを一本と、そのあとはジョニ黒をダブルで2杯ほど飲んで、午前 1時就寝。

 さて!明日一日頑張れば、明後日から上海だ!!!(嬉)

 上海のオトモダチの皆さん! 年末年始は上海に居るので遊んでねw
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